24歳のガキンチョ
24歳がガキンチョなら、22歳学生、尚且つ、24歳の時も学生、が確定している私はなんなのか、モラトリアム野郎とでも名付けようか。
先日とあるワークショップに参加した。超意識高い集団に混ざって勉強する2日間。
そこに参加しているのだからおまえも意識高いだろと突っ込まれそうですが……
意識、って故意的に高められるのだなと。意識的というと少し語弊があるかもしれないが、そこにいることでしか学べないことが確実にあり、それはそこでしか学べないという現実。しかしそれは、自分が意識が高いと勘違いしてしまう要素でもある。
つまりは、自分自身が何者であるかと、考える時間なのではないかと。
自分より知識ある人たちのなかで、どうふるまうか、自分にしか考えられないこと、思いつかないことは何かを必死に考えていた。
うーん…。僕は何事においても、できないことを憂うより、できることの中に喜びを見出す主義だから…。
本当に彼らしいというか、なんというか。
自分自身を認めることに長けてる人ってこういうこと言えるのだと。
自分ができないことで人を羨むのではなく、自分ができることで人に影響を与える、なんて文字にしたらすごくきれいごとみたいだけど、行動に移すのは到底できい。
できないんだったら、努力してできるようになれ、ってことなのかなぁ。努力を人に見せない人たちだからね。
私なんて、まだ、モラトリアム野郎だから笑、ってね。
なんだか、おんなじことを考えているような気がして(たぶん違うよ笑)ちょっとうれしくなった今日この頃。
1つ1つの仕事が次につながっている率が高くて、今居合わせることが重要、という言葉の重みが感じられる。
それにしても、超久しぶりにお芝居のお仕事が、いろいろなつながりがあって決まったのだと思うと、とても感慨深いです。
ちょっとだけ、悪いことしたような気分になれた日。
大切にしてください。
24歳のガキンチョから34歳の櫻井翔になるまで、10年。
入所してから、21年。
今日も明日も、素敵な1日になりますように。